このサイトでは、鴻上尚史(こうかみしょうじ)の紹介を中心に、 彼の今までの生きてきたプロセスや主催した劇団、「第三舞台」について、そして彼の著書について述べています。
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鴻上尚史について関心を持っていただければ幸いです。
05 第三舞台の経歴
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「第三舞台」プロ化へ
研究会からプロの劇団への道は、けして楽なものではありませんでした。
看板俳優であった岩谷真哉がバイク事故で亡くなるという大きな衝撃的事件が起こります。この事故は、岩谷の恋人もバイクに同乗しており、その恋人に岩谷の死を告げたのは鴻上だったという話が「ファントム・ペイン」(白水社)の後書きに書かれています。
「第三舞台」はその死を乗り越え、邁進し続けることになります。
ショックを受けて家を飛び出した彼女を必死で追いかけた記憶を劇団の風景として胸に刻んで、稽古に励んだと言います。人間の生死や人生に深く関わってゆくという重みを感じ、本気で演劇に取り組むという覚悟について岩谷の死によって改めて考えさせられたようです。
ここからはただの「学生の芝居」ではない、という覚悟を胸に、演劇に本気で取り組む姿が多くの人を魅了し、1986年には小劇場での観客動員数日本一という数字を叩き出します。
「第三舞台」を、ただの文化活動でもなく、ましてやお遊びでもない、「演劇で食ってゆける劇団」にするという鴻上の言葉を徐々に現実のものとしてゆきます。
劇団員のテレビ出演などへのプロモーション活動も行い、劇団員ひとりひとりが強い光を放ち、また鴻上自身も演劇界に名を馳せるようになってゆきました。